瞬々日報

生活していたその時々に感じたことをざっくばらんに書いていけたらなと思います。更新は不定期。

『アベンジャーズ エンドゲーム 』感想 アベンジャーズが終わらせた10年は一体どんな意味を持つのか。

この記事は以前Twitterで呟いたものを転載したものになります。
公開した当時は伏せったーを使っていたのですがもうBlu-rayなども出たので記事として公開してもよいかと。
一応物語の核心部にも触れますのでネタバレにはご注意ください。










MCU製作陣が打ち出したこの約10年に渡る旅。終わったのはきっと映画の登場人物の人生だけでなく追い続けてきた私たちの10年間もであり、素直に喜べなかった。‬

これは作品が面白くなかったとかではなくて、満足感と同時に寂しさを感じ得ない作品で、面白い!!だけでは表現しきれない感情になったということだ。  


このMCUは私にとって中学生から大学生にかけて友達とああだこうだ感想を話しながら見たものであり、まさに青春を共にする作品であった。その最中で離れ離れになってしまった友もいれば、新たに一緒に見るようになった友もいる。  

このご時世、SNSでいつでも感想を共有できるので離れ離れになっても今でもやりとりしているのだが、それがなんだかとてつもなく寂しく感じてしまった。  

あの頃顔をつき合わせて「キャプテンアメリカがかっこいい!」「いや、アイアンマンが!」「ホークアイが!」などと言っていたが、「エンドゲーム」で、このキャラクターたちのアベンジャーズ としての役目は文字通りエンドし、次の世代へと引き継がれた。  

それは私たちも同様で、あの頃の子供のままではいられないのだ。上の世代からの継承、そしていつかくるであろう、次の世代への継承を感じざるを得なかった。  


勿論作品としてのロスも要因の一つにもあると思う。"ブラック・ウィドウ"こと"ナターシャ"の死や全ての始まり、"アイアンマン"こと"トニー・スターク"の死。最後まで私たちのキャプテンであり続けた"スティーブ・ロジャース"の最後など、これからこのキャラクターたちの活躍が見られないと思うと、やはり心にポッカリ大きな穴が空いた気がしてしまう。  


この作品で描かれたように、過去は決してなくならない。私が友達と語り合った10年も決してなくならない。しかしながらこうも強烈な終わりが突きつけられるとどうしても私もさらなる一歩を踏み出すことを強要されてるように感じてならないのだ。  

とはいえ、このエンドゲームひたすらに没頭することのできる圧倒的であり究極の映画体験であったように思う。笑える場面では思わずクスッとなったし集結の場面では昂ぶって手に汗握った。最後の場面では例に漏れず声を上げて泣いた。数多くの作品を見たと誇れる自信はないが、ここまで感情が揺さぶられる映画に出会ったのは初めてだった。  

MCUはこの10年間、素晴らしい作品を作り続けながら、この「エンドゲーム」を区切りとし、またこの10年間を基盤としながらまた新たな物語(サーガ)を紡ごうとしている。私にできることといえば、今いる新たな友と共に次の「スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム」を見る準備をするだけだ。  


次の10年後はどんな友と語らっているのであろうか。こちらも非常に楽しみである。