瞬々日報

生活していたその時々に感じたことをざっくばらんに書いていけたらなと思います。更新は不定期。

『スパイダーマン FFH』感想 この映画で語られた鉄の意志とは一体なんなのか‬

この記事は以前Twitterで呟いたものを転載したものになります。

公開した当時は伏せったーを使っていたのですがもうBlu-rayなども出たので記事として公開してもよいかと。
一応物語の核心部にも触れますのでネタバレにはご注意ください。











正直な話、ピーターが親愛なる隣人から世界を守るスーパーヒーローになったのか、という問題は曖昧なのではないかと感じた。最後、戦いの場に臨んだのも世界の平和がどうこうと言うよりも、むしろ友人のためという動機の方が強く見えたし。ただ、ここで大事なのはトニーの遺志は(ここは敢えてこういう表記で)ピーターが世界を守るスーパーヒーローになってほしかったのかということだと思う。 ‬

‪個人的な見解だが、私は最後までトニーはピーターには親愛なる隣人でいて欲しかったのではないかと思う。というのも、この親愛なる隣人でいる、という決断はホームカミングでピーターが出した決断である。それをスタークは最大限に尊重しようとしたのではないか。だからこそ、ニックも連絡が取りにくかったのではないかと思う。(本人が連絡を無視していた部分もあったのだろうけど。) ‬

‪今回の作品ではそんなトニーの持っていた抑止力がなくなった世界を強く打ち出していたと思う。今回のヴィランの動機だったり、ピーターとニックの接触然り。 ‬

‪そんな中で今回のピーターに迫られる決断はかくも過酷であり重い。ポストクレジットを見てもそうだが、世界を守る16歳に対して周りの大人たちはどうこの「子ども」を守っていくのか。学校ではイけてなくて、恋愛には奥手、ついついウェブでスイングしちゃうようなそんなピーターをどう世界は守ってくれるのか。今後にすごく期待と不安を覚える幕引きだった。 ‬


‪さて、最初の話題に話を戻すと、ピーターは結局、目の前にあるものを守るので精一杯でそんな世界を守るような覚悟はまだないような印象を受けた。でも私はそれでいいのだと思う。それこそ、親愛なる隣人であり、我らがスパイダーマンなのだと。そんな隣人でい続けることを、ピーターはそれこそ、「鉄の意志」で選んだのだ。世界がああだこうだ言おうが関係ない、俺は親愛なる隣人として目の前にあるものを守る。その姿はまるで周囲に何を言われようが自分の責務を遂行するトニーの姿そのものだったのではないだろうか。だからこそ、スーツを作るあの姿はトニーと重なって見えたし、誰もがハッピーのような表情になったのではないだろうか。 ‬むしろ戦いが終わった後のハッピーのニックに対する対応は、そのトニーの遺志を汲んでいるようにみえた。

‪つまり、HCの頃と根幹の部分(目の前にあるものを守る)は変わってないのじゃないかなと。この姿勢は『アベンジャーズ インフィニティウォー』の時から現れていたように思う。目の前のドクター・ストレンジを救うために宇宙にまで飛び出してしまう姿は今思えばピーターのスタンスが端的に出ていたのでは描写に感じた。

実際問題、ピーターが自分自身で出した決断であればトニーは応援したし、観客の我々もそれを手に汗握りながら見守ろうではないか、そんなふうに思わされた。 ‬


‪それにしても、あの最後のクレジットシーンには度肝を抜かされた。 ‬

‪自らヒーローを名乗り、ヒーローとしての人生を始めたトニー、そして正体を明かされそのトニーの責任を担わされることとなったピーター、彼は今後どのような人生を歩むのだろうか、今後にも目が離せない。‬